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googleリーダーからWordpressへ「送る」

googleリーダーから消えた「共有アイテム」の代わりに、現在別サイトとして使っているWordpressへ「送る」ことにした。送るだけならツイッターでもFacebookでもかまわない。送り先には他にも(英語の)サービスが用意されている。ただ、自分勝手が利く使い勝手、とりわけRSSまわりのそれを考えると、Wordpressに送ってRSS出力させる方が楽だ。
一応やり方は下記ページにあるとおり(写真付きで分かりやすい)。新しい仕様のgoogleリーダーであっても、そこのところは変わりない。

How To Send Google Reader Items To WordPress

上のページの要約を以下にしるす。
WordPressにPressthisが入っていることを前提に
1.右上の歯車アイコンから「リーダー設定」
2.横並びメニューから「送信先」
3.「お気に入りのサイトが表示されない場合」の下にある「カスタムリンクを作成」
4.「名前」は分かりやすいブログの名前に。既に他のサービスを利用中なら見分けやすい日本語で。
5.「URL」は

http://ワードプレスのアドレス/wp-admin/press-this.php?u=${url}&t=${title}&s=${source}

となる。php?以降をいじればもっと、色々出来るはずだ。
6.保存

送りたい記事の送信先に、登録したWordpressが表示される。初回、クリックすると当然、IDとパスワードを問われる。
タイトル欄には記事のタイトル、テキストエリアには引用もとサイト名と、記事へのリンクが設定された記事のタイトルが入っている。ここに添えてある「引用元:」の表示がどうしても邪魔ならwp-admin内press-this.phpの640行目あたりにあるviaの入った行を削除する。最後、用途に応じてカテゴリを指定し公開。該当カテゴリのRSSを取得して、好きなように使う。現在ここのサイトではトップページ右側「最近読んで良かった記事」で使っている。見せ方は、googlefeedapiなりスタイルシートなりをいじる。ここではRSSの本文だけを見せれば、引用元サイト名と、記事に直接リンクした記事名が列ぶ(RSSのタイトルを表示させるとwordpressへのリンクが出来てしまい、まぎらわしい)。
※なお、chromeで表示されないのは吐き出したRSSのせいではなく、私のgoogle feed apiの書き方が不味いせいだ。私はchromeを使わないので、当分直すつもりがない。

ちなみに、ここのサイトの上のメニュー「共有アイテム」から、Wordpress内の、ここには貼り付ける用カテゴリが開く。

■google+とのからみで
今年11月からgoogleリーダーの仕様が変わり「共有アイテム」を使えなくなった。以前なら、好きな記事をワンクリックで「共有アイテム」ページに送る=表示させる=他の読者と共有するだけでなく、「共有アイテム」ページのRSSを取得して自分のサイトや別のアプリに読ませ「後で読む」こともできた。それだけに、今回の変更を「改悪」と呼ぶ向きも少なくない。現在の「共有」は「Google+」内での共有であり、RSSを「吐き出す」ことはしないため、確かに使い勝手が悪くなった。google側で「RSS」の扱いに変化が見られたのは今回が初めてではない。一度は緩くなっている。つまり「共有アイテム」のみ可能だったRSS出力が、ある時期「スター付き」をはじめフィードのグループ毎に可能になり、そして今回の変更オレンジ色のRSSアイコンが姿を消した。何の根拠もない感想を述べるなら、「Google+」に込められた意志のある程度は、無駄の多い「共有」の解消に向けられているのではないか、とも思える。ブログ、ツイッター、Facebook等々、今日あるサービスの「使いこなし」のあり方の中でも需要の高いものの一つが、同じ情報の「使い回し」だとすれば、どうか──その情報をいちいち拾わされる立場としては、どうか──その「使い回し」にgoogleリーダーの吐き出すRSSが「活用」されているなら、どうか。便利な機能が使えなくなったことは残念だ、と思う。しかし、RSSフィードの使い回しが「インターネット」一般に余計な負荷とノイズみたいなものを生んでいる感は否めず、今回の措置が一概に不味かった、とは考えられない。もっとも、そのノウハウを売って商売をされていたお歴々に対しては、心中お察しします、と述べるほかない。「共有アイテム」ないしRSSアイコンは、「ネット世論」におされて、案外早いうちに復活するのではないか、などと、こっそり思ってはいる。

XBOX360本体の「称号」を確認したところ、2011年の1月3日にFF13をクリアしており、1月14日から2月10日まで、MassEffect2をやっている。

>>日本語公式サイト
>>攻略サイト

以下、ゲームの紹介は、しない。

■タリの良さが分かれば、どこでもやっていける自信がつく。
各種紹介サイトに書かれているように、洋ゲーでありながら和製RPGとの違いを特に感じさせない、1本のメインストーリーにサブのイベントやシナリオがぶら下がっており、仲間キャラを選り好みして遊べる辺りも日本人ユーザーにフレンドリーだ。キャラの造形は日本人の好みから若干遠く、中でも地球人が一番遠いため、相対的に宇宙人キャラの魅力が引き立ち、かわいく、なぜか萌える。私がそうだから、という理由だけで言うが、非美少女系の擬人化動物キャラが好きな人なら、イベント毎のお供選びに迷うくらい、キャラゲーとして楽しめる。そうでない人も、ストライクゾーン拡張の一環として、気軽に始めてよい作品だ、と思う。

■FPSでない、とっつきやすいガンシューティング
このゲームは同時に、ガンシューティングゲームである。仲間キャラがある程度助けてくれるものの、最終的には自力でなんとかしないと、どうにもならない。敵は銃を持っているので、「モンハン」で鍛えたスキルは必ずしも役に立たないかもしれないが、キャラとカメラの関係は「モンハン」と同じで、FPS程の取っつきにくさはない。接近戦での殴り合いも可能だが、この場合は敵が本気過ぎて、むしろ恐い。飛び道具としての銃の有り難みがよく分かるゲームだ。絶対に裏切らない銃に感謝しながら、撃ち合いを楽しむと良い。

■難易度・カジュアルのすすめ
私を含め、アクションゲームが不得手な「よい大人」が、それでもゲームを楽しむなら、求める楽しみに結びつかない、半端なゲーマーのプライドは、きっぱり捨てるべきだ。
物語の展開が難易度によって大きく変わる、という話は聞いたことがないので、とりあえず最後まで連れて行って欲しい人はこれを選ぶべきだ。そもそも難易度ノーマル・ハードでクリアしたところで、誰も誉めてくれない。それでもMassEffect2はガンシューティングの要素が高まっており、最低難易度でも適度に死ねる程度の緊張感を味わえる。それで物足りなさを感じたら途中で難易度を変更できる。難易度設定とは「その程度のもの」と割り切ってよい。

■最後まで見たい人向け・クラスと戦い方
ワザ的なものが増えても、覚えられない・使いこなせない人は、既に難易度・カジュアル、という前提で、クラスは「ソルジャー」が無難。HPが高く、硬く、要は死ににくい「戦士」である。原則として「魔法」は使えないが、数秒間、時間を止められるので、レベルが上がれば部隊ポイントを「アドレナリンラッシュ」系スキルに全振りすると良いだろう。最初の戦い方は、とりあえず味方を盾にして、操作の簡単なピストルで頑張り、偉そうで強そうな敵は時間を止めてライフルで頭を狙う。途中から使えるようになる「バリア」とマシンガンの強気プレイも、ある程度通用する。「ショットガン」を正しく組み合わせて戦えるなら、難易度を1~2つほど上げることを推奨。
割と序盤で手に入るヘビーウェポン「コレクター粒子ビームガン」は、ラスボス戦まで使えるので、よく分からないなら、とりあえずこれを。中ボス戦は「時間を止めてライフル連射orコレクタービーム」でどうにかなる。

■攻略チャートはプリントアウトして手元に。
なるべく少ないストレスで、1回のプレイで終わらせたいなら、攻略チャートを作る手間を惜しむべきでない。なにしろ最低限の予習なしでは、お気に入りの仲間キャラが途中で死んでしまう。バッドエンドも楽しみ方の一つ、と言ってのけるには、このゲームは少々長すぎ、それでいて単調な作業が少なくない。ネタバレをストレスと感じる人はしばしば、ネタバレを恐れて後からストレスを抱え込む。話の筋を知った上でそれを最後まで見届けるのも一つの楽しみ方として、こっそり認められても良いはずだ。とりあえず攻略サイトを一読した後、段組設定済みのワープロソフトやらに必要な分だけコピペして手元に置く。メインのシナリオを把握した上で、おおまかなスケジュールに沿ってイベントをこなせばよいだろう。

■惑星探査にはまる人は、必ずいる。
武器や防具、宇宙船の強化に必要な資源を様々な惑星から集める「作業」は、前作と比べて楽になった。惑星表面をまわしながらカーソルでなぞって、グラフに反応があれば探査機を落として引き上げる。この時、グラフの線と一緒にコントローラーも振動する。大量の資源が引き上げられる場所では、グラフもコントローラーも激しく揺れる。ちょっとした釣りゲームだ。もっとも、同じことを二周目もやりたいとは思わない。

■「不気味の谷」の問題ではない。
リアルな地球人然としてふるまうあからさまな宇宙人キャラほど、われわれリアルな地球人はその「内面」を直接読み取り、その容姿にぬいぐるみ的、というか着ぐるみ的な愛着を感じるのかもしれないし、それは「中に人がいる」ことへの安心感かも知れない。地球人キャラに私たちがなんらかの不安を抱くとすればそれは、「中の人がいない」それであり、私たち、とりわけ日本人が受け入れがたい容姿こそがそのキャラその者であることに対する受け入れがたさに由来するかも知れない。

■とりあえず、来年春までは、死ねない。
>>MassEffect3

2011年のお正月~XBOX360版FF13の感想

2011年1月をふり返ると、FF13をやっている。近況報告をふり返ると、昨年末から、これしかやっていないと分かる。


2010年~2011年の年末年始はXBOX360版のFF13で遊んだ。海外版の再輸入版というのか、よく分からないが、音声は英語のみ──「日本人の声優さん」以外を受け付けないある種の人々と、XBOX360所持層のある程度が重なったのか、売上げは芳しくなかったようである。それにしても、FFシリーズは6以来御無沙汰であった私自身は、ひどくのめり込んでしまう。クリア後にさっそく友人をつかまえて、プレイ後の感想というか感動みたいなものを、とにかく熱く語ったところ──PS3版から世間一般的には毀誉褒貶が著しく、評価の微妙な作品としての評価が定まっているせいか、どうも、伝わらない。普段ゲームをやらない友人まで「一本道ゲーム」と評するほどに悪名高い「自由度の低さ」がいけなかったのか。
あるいは、レベルアップ任せの力押しが利きにくい、戦略性と集中力と妙な瞬発力を求められる新しい戦闘システムが万人受けしなかったのか──「これだけのことができるのに」自由に動かせないことの不満、もどかしさや、そもそも難しすぎるだとか、そういった諸々の事情で。
それにしても、だいたい私と同じような条件のユーザーであれば、そこそこ以上に楽しめるゲームではないか、とも思える──では、私はどのようなユーザーなのか。結論を思い付く先から挙げれば『1本道が嫌でない』『お話動画が嫌でない』『英語音声が嫌でない』『新しいもの好き』『やりこまない』『年相応に弱まったオタク』──私は、そんなユーザーである。

■『英語音声が嫌でない』
昨年夏に「MassEffect」を、秋には「ロストオデッセイ」を英語音声でプレイしたおかげもあってか、FF13の音声には全く抵抗を感じなかった──日本語版を知らなかったからかもしれないが──日本人離れしたキャラに日本語音声を被せたところで外画の吹き替えでしかなく、だったら英語音声に日本語字幕の方が、なんか映画っぽくて良くないか、などと私は思うのだが、日本の「声優さん」は世界一、などと宣うある種の人々においてはそうもいかないのだろうか。ヴァニラの、いかにもヤンキーガールというか、ぴちぴちぎゃるな演技には相当、グッとくるものが、ないだろうか。

■『新しいもの好き』
10年以上FFから離れていた私からすれば、13の戦闘システムはカルチャーショックに近い面白味があった。プレイヤースキルに関係無しに「動かせる」コマンド入力型戦闘の醍醐味を、縦横無尽に動き回るキャラクターのグラフィックが存分に引き出している。また新しいATBは、コマンド入力式戦闘が陥りがちな単調な入力作業を、若干アクションゲーム的な臨機応変の操作が要求されるそれへと昇華した──その上でも、プレイヤーが機を窺うべく注視する、刻一刻と状況が変化する戦闘シーンを実現できるだけのグラフィックを新しいATBは必要とした、とも言える。絵だけを見れば綺麗なだけかも知れないが、自分の手で動かせばそこに必然性見いだせる、かもしれない。

■『やりこまない』
あらゆる娯楽の中でゲームは比較的安上がりな部類に入る、と気付く人なら、そこそこのレベルでスリリングなラストバトルを1回こなせば満足できる。一本の作品を何度も繰り返したり最強キャラを育てたりするよりも、別の作品のラストバトルを楽しむ方が効率的、と考える大人もいる。

■その他の条件については、以下にまとめて述べる。
『一本道が嫌いでない』とは、言い換えれば、次に何をすればよいのか、何をして遊べばよいのか、自分で考えるのが面倒なのだ。その一本道を進むことすら面倒な時は、『お話動画』が代わりにゲームを進めてくれると正直ありがたい──FF13の動画、イベントムービーの扱いは、その意味で気が利いていたように思える。一方、イベントムービーの途中で、プレイヤーに参加を強いるシビアな戦闘が始まったりと、必ずしも楽をさせてもらえるわけではない。その意味では適度にゲームであるが「フリーシナリオ」の対極にあることは確かだ──例えばロマサガ的なそれである。
ロマサガシリーズを現役で遊んだ高校生の頃に感じた「フリーシナリオ」の面白さは、今までにない新鮮さというよりも、少し前まであった居心地の良さだった。自分の想像力にある程度の自信を持てる間は、玩具としてのゲームの中にあてがってもらった玩具の世界でひとり遊びに興じることができる。いっぽう、自分の想像力に限界を感じ、先の自信に翳りが見え始めると、玩具の世界に止まり続けることは、とにかく痛く──痛々しく──「自由度」の外側に広がる他人の想像力で遊ぶ方が、気分的に断然楽だ。次にどうしてくれるのか見てみたい、などと無責任な野次馬を決め込むも良し──それにしても同時に、ロールプレイングゲームの「自由度」の中で自分の想像力をはたらかせた経験を持つ少なくないプレイヤーは、作り手の視線を多少なりとも交えて、その意味では批評的に、というか同情的に、その作られようを吟味し楽しむことも可能なはずだ。こうなると、「フリーシナリオ」と称して「お話」の進行が我々プレイヤー側の想像力に投げ返されるた時にはかえって、そこに作り手側の怠慢を邪推してしまう。そんな「逆ギレ」に近い想いを抱いてしまうのはきっと、私だけではないはずだ──『一本道』ゲームに作り手の覚悟というか「清さ」みたいなものを見てしまう人だって、私以外に、きっといる、と思う。
もっとも、実際に求められたのは、ロマサガ的なフリーほどではないにせよ、お気に入りキャラとサイドストーリー・サブイベントの好みに応じた組み合わせの自由で、ユーザーの御都合主義にさりげなく配慮した同人誌的な世界観の豊かさ、というか緩さではないか。私を含め少なくない日本人ユーザーは、本気のオープンワールドに放り出された途端に泣いてしまう。冬~春頃には遊べるであろうFF13-2では、前作の「反省」が活かされる、とのこと。スクエニが本当に「分かっている」とすれば、私を含め、いろいろと緩いユーザーは、発売日まで徐々に発表されるキャラ表をニヤニヤ眺めて過ごすとよいだろう。