2011年のお正月~XBOX360版FF13の感想

2011年1月をふり返ると、FF13をやっている。近況報告をふり返ると、昨年末から、これしかやっていないと分かる。

2010年~2011年の年末年始はXBOX360版のFF13で遊んだ。海外版の再輸入版というのか、よく分からないが、音声は英語のみ──「日本人の声優さん」以外を受け付けないある種の人々と、XBOX360所持層のある程度が重なったのか、売上げは芳しくなかったようである。それにしても、FFシリーズは6以来御無沙汰であった私自身は、ひどくのめり込んでしまう。クリア後にさっそく友人をつかまえて、プレイ後の感想というか感動みたいなものを、とにかく熱く語ったところ──PS3版から世間一般的には毀誉褒貶が著しく、評価の微妙な作品としての評価が定まっているせいか、どうも、伝わらない。普段ゲームをやらない友人まで「一本道ゲーム」と評するほどに悪名高い「自由度の低さ」がいけなかったのか。
あるいは、レベルアップ任せの力押しが利きにくい、戦略性と集中力と妙な瞬発力を求められる新しい戦闘システムが万人受けしなかったのか──「これだけのことができるのに」自由に動かせないことの不満、もどかしさや、そもそも難しすぎるだとか、そういった諸々の事情で。
それにしても、だいたい私と同じような条件のユーザーであれば、そこそこ以上に楽しめるゲームではないか、とも思える──では、私はどのようなユーザーなのか。結論を思い付く先から挙げれば『1本道が嫌でない』『お話動画が嫌でない』『英語音声が嫌でない』『新しいもの好き』『やりこまない』『年相応に弱まったオタク』──私は、そんなユーザーである。

■『英語音声が嫌でない』
昨年夏に「MassEffect」を、秋には「ロストオデッセイ」を英語音声でプレイしたおかげもあってか、FF13の音声には全く抵抗を感じなかった──日本語版を知らなかったからかもしれないが──日本人離れしたキャラに日本語音声を被せたところで外画の吹き替えでしかなく、だったら英語音声に日本語字幕の方が、なんか映画っぽくて良くないか、などと私は思うのだが、日本の「声優さん」は世界一、などと宣うある種の人々においてはそうもいかないのだろうか。ヴァニラの、いかにもヤンキーガールというか、ぴちぴちぎゃるな演技には相当、グッとくるものが、ないだろうか。

■『新しいもの好き』
10年以上FFから離れていた私からすれば、13の戦闘システムはカルチャーショックに近い面白味があった。プレイヤースキルに関係無しに「動かせる」コマンド入力型戦闘の醍醐味を、縦横無尽に動き回るキャラクターのグラフィックが存分に引き出している。また新しいATBは、コマンド入力式戦闘が陥りがちな単調な入力作業を、若干アクションゲーム的な臨機応変の操作が要求されるそれへと昇華した──その上でも、プレイヤーが機を窺うべく注視する、刻一刻と状況が変化する戦闘シーンを実現できるだけのグラフィックを新しいATBは必要とした、とも言える。絵だけを見れば綺麗なだけかも知れないが、自分の手で動かせばそこに必然性見いだせる、かもしれない。

■『やりこまない』
あらゆる娯楽の中でゲームは比較的安上がりな部類に入る、と気付く人なら、そこそこのレベルでスリリングなラストバトルを1回こなせば満足できる。一本の作品を何度も繰り返したり最強キャラを育てたりするよりも、別の作品のラストバトルを楽しむ方が効率的、と考える大人もいる。

■その他の条件については、以下にまとめて述べる。
『一本道が嫌いでない』とは、言い換えれば、次に何をすればよいのか、何をして遊べばよいのか、自分で考えるのが面倒なのだ。その一本道を進むことすら面倒な時は、『お話動画』が代わりにゲームを進めてくれると正直ありがたい──FF13の動画、イベントムービーの扱いは、その意味で気が利いていたように思える。一方、イベントムービーの途中で、プレイヤーに参加を強いるシビアな戦闘が始まったりと、必ずしも楽をさせてもらえるわけではない。その意味では適度にゲームであるが「フリーシナリオ」の対極にあることは確かだ──例えばロマサガ的なそれである。
ロマサガシリーズを現役で遊んだ高校生の頃に感じた「フリーシナリオ」の面白さは、今までにない新鮮さというよりも、少し前まであった居心地の良さだった。自分の想像力にある程度の自信を持てる間は、玩具としてのゲームの中にあてがってもらった玩具の世界でひとり遊びに興じることができる。いっぽう、自分の想像力に限界を感じ、先の自信に翳りが見え始めると、玩具の世界に止まり続けることは、とにかく痛く──痛々しく──「自由度」の外側に広がる他人の想像力で遊ぶ方が、気分的に断然楽だ。次にどうしてくれるのか見てみたい、などと無責任な野次馬を決め込むも良し──それにしても同時に、ロールプレイングゲームの「自由度」の中で自分の想像力をはたらかせた経験を持つ少なくないプレイヤーは、作り手の視線を多少なりとも交えて、その意味では批評的に、というか同情的に、その作られようを吟味し楽しむことも可能なはずだ。こうなると、「フリーシナリオ」と称して「お話」の進行が我々プレイヤー側の想像力に投げ返されるた時にはかえって、そこに作り手側の怠慢を邪推してしまう。そんな「逆ギレ」に近い想いを抱いてしまうのはきっと、私だけではないはずだ──『一本道』ゲームに作り手の覚悟というか「清さ」みたいなものを見てしまう人だって、私以外に、きっといる、と思う。
もっとも、実際に求められたのは、ロマサガ的なフリーほどではないにせよ、お気に入りキャラとサイドストーリー・サブイベントの好みに応じた組み合わせの自由で、ユーザーの御都合主義にさりげなく配慮した同人誌的な世界観の豊かさ、というか緩さではないか。私を含め少なくない日本人ユーザーは、本気のオープンワールドに放り出された途端に泣いてしまう。冬~春頃には遊べるであろうFF13-2では、前作の「反省」が活かされる、とのこと。スクエニが本当に「分かっている」とすれば、私を含め、いろいろと緩いユーザーは、発売日まで徐々に発表されるキャラ表をニヤニヤ眺めて過ごすとよいだろう。

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このページは、takahashiが2011年8月15日に書いたブログ記事です。

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